鬱病からの生還(体験発表)~気づき・お詫び・感謝~

昨年の年末頃から、このブログの読者さんの貴重な体験発表を

ご本人に了解を得ましたので、UPしたいと思います。

私にとっても大変な勉強になりました。

素晴らしい発表です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
皆さん こんにちは
〇〇支部 5月度 当月祭 おめでとうございます
私は 〇〇出張所の 〇〇〇と申します
のお道にご縁をいただいて29年になる信者です
よろしくお願いいたします
きょうは 私の欝病体験をおききください
その為にはまず 長女の話から 始めなければなりません
私の家族は 主人と私 それに 中3と小6の娘の4人家族です
長女は幼い頃から 眠たがりやでした
次女は 目が堅く 遅くまで起きていても平気な子で
同じ姉妹でも ずいぶん違うもんだなあ  と思うくらいで
気にしておりませんでした
ただ ふだんは おだやかな優しい子なのに
突然 ひとが変わったようにきつい性格になるので 
家族は 二重人格か  とからかいました
そのきつい性格のときはもちろん
おだやかな性格のときでも 私は手を出し ののしる母親でした
去年の7月のことです
2の夏休み直前の 三者面談のとき
廊下で 順番待ちのため 椅子にすわるのですが
娘は 地べたにしゃがみこみ かべにもたれて 眠り込んでいるのです
面談中も うとうとして さすがにおかしいと思い 内科につれていったところ
ナルコレプシーと言って  眠りすぎと書く 過眠症と診断されました
過眠症というのは いつでもどこでも 突然ねむりこけてしまい
夜は 恐ろしい夢をみて 何度も眼をさまします
又 とてもうれしかったり とてもいやだったりと  感情がたかぶると
情動発作といって クタクタっと体がくずおれてしまいます
階段ののぼりおりすら 気をつけなければなりません
きつい性格が出ている時の娘は 
眠たいのに 気がつかず むりやり起きていなければならない
体と心に とても負担がかかっている状態だったのでした
娘のその病気が 発覚する直前の6月に
私は 本部のお磨き奉仕が許されていました
だからこそ 神様が 私をおみすてになんかなるはずがない
きっと 娘の病気はたいしたことがないと 勝手に思いこんでいました
主人は信仰には反対だったのですが
子どもたちに勧めると
8月に長女  9月に次女 と 
入信がゆるされました
けれども ふたりとも すぐ みひかりさまを はずしてしまいました 
10月1日 のばしにのばしていた
専門医の受診のため 姫路から大阪まで親子4人でいきました
結果は やはりナルコレプシーに ちがいない ということで
その薬の処方箋を貰うことになってしまいました
神様は 私をおみすてになったにちがいない…と思いました
その日の 帰り道 
私はうつむいて 地面ばかりみて歩いていた事を覚えています
いうのは おととし娘の病気が発覚する前の年に
私は 更年期障害というのでしょうか 
夏だというのに 寒気がして 毛布を何枚も巻きつけないと眠れず
また それまで頭痛というものを 一度も経験したことのなかったので 
浄化ということにきづかず 
良くないとわかっていながら 薬をのんでしまい 
すごい後悔に さいなまれてしまったことがあったからです
そのこともあって 今までの私の悪い生活態度や信仰状態から
神様の逆鱗に触れ 今回の娘のことは お見捨てになったのだ と思いました 
未信者の主人は 娘が薬をのみはじめたことで 安心したでしょうが
かわりに 私は どんどんやせていきました
最盛期より 7キロ以上 一気にやせてしまった私に
主人は強行に 精神科の医者に みてもらうことをすすめました
結果は 欝病…と診断されました
これも すぐ 処方箋がでました
その名も毒々しい ドグマチールという薬です
けれど 先生 世話人さん 信者さんたちが 私を守り続けてくださいました
薬を飲まずにすんだのです  
その時はきっと 大変な思いをされていたことだ と思います
有難うござます
ご浄霊をいただいたり
欝病に特有の ながいながい とりとめのない電話に つきあっていただいたり
薬を飲みたいという誘惑に 負けそうになった私を 
そのたびに 受け止めてくださいました
本当に有難うございます
ただ 主人の手前 私は 薬を飲むふりをして 捨てていました
欝の症状のひとつは
普段 できなくても 全然 気にならないことでも
「できない できない」と すごくあせる気持ちにさせられることです
ふたつめは
夜は 2-3時間ねむれたらいい方で 一度眼をさますと 悶々として朝をむかえます
一日中 おっくうで なんでも先延ばしになります
夕方 ちょっと元気になり 明日からは… などとおもうのですが
やはり おなじことのくりかえしです
もっと 恐ろしいのは自殺願望で
このビルから飛び降りたら…とか
交差点で いまあの車に飛び込んだら…とか
普段 絶対 皆さんが思いも寄らないことを 想像してしまうのです
私は 重い欝病の人が 自殺に追いやられる気持ちがよくわかりました
鬱病はどんどんと酷くなっていき
やがて 参拝のための電車にも 乗れなくなってしまっていました
そして まだまだ恐ろしいことには 神様に対する悪い想念が浮かぶことがありました
実は欝になる前からも度々 このような神様に対する悪い想念が浮かんでいました
このことは 驚き あきれられて 信仰から放り出されると思い
先生や世話人さんには決して打ち明けられず 自分の心の中に仕舞いこんでいました
神様に助けていただきたいと思う気持ちと 神様に対する悪い想念が入り乱れ
こんな私では 信仰させていただく資格はないのではないか と思い悩み
しかしその悪い想念はどうしても消えず そのことが私の鬱病に追い討ちをかけました
そんな 情緒不安定で なにをするにも億劫な私にも できることがありました
パソコンを開き
欝病関係のホームページを読み つらいのは自分だけではない 
いちいち確認していました
明主様関係のホームページも あちこち読まさせていただいておりました
最後にたどりついたところに
明主様のみおしえが かきこまれてありました
「信仰の合理性と再浄化」というみおしえです
以前にも本で 読んだことがありましたが 私には 恐ろしいみおしえでした
「理屈にあわなければ いかにおがむとても ご守護はいただけない」 というみおしえで
す  
そのホームページでは 
再浄化に関するであろう他のみおしえも 読まさせていただくことができるのです
拝読で気がつかせていただいたことは 信仰を長年させていただいて
何の不自由もない人生を おくらさせて頂いていたにもかかわらず
神様への感謝がなかったことでした  
先生からも 『感謝』がないことが 鬱病の原因とご指導いただきました
それから私は 日々感謝できることを見つけて そのつど神様に感謝申し上げました
また 神様への感謝の言葉を 毎日レポート用紙にも書き始めました
戸の開け閉めから始まり 階段の上り下り 息を吸うこと はくこと ご飯を食べる事
べて 神様のお許しのもと 出来ることなのだからと 自分に言い聞かせ
神様に感謝申し上げました
不思議なことに 神様に感謝の言葉を言わさせていただくと
少しずつ 少しずつ 体が動けるようになってきたのです
して数日経ってから もう一度「信仰の合理性と再浄化」を 拝読させていただくと
今度は こんな言葉が目に留まりました
【神様からいただいたご守護よりも 少ない感謝ならば やがて再浄化が起こる
再浄化が起きたならば それに気づき 心から神様にお詫びしなければならない】 
という内容のお言葉です
私は お願いでもなく 感謝でもなく
神様へのおわびを 徹底させていただきました
忘れもしません 今年の1月4日の夜
明主様のお写真の前で額づき
天津祝詞をとなえ おわびをさせていただきました
何不自由のない天国に いさせていただいていたのに 神様に感謝がなかったこと
神様に対して悪い想念を持ってしまったこと
人さまを蔑んでいたこと
呆けていたことなど
思いつく限り 心から神様にお詫びいたしました
すると不思議に 心が軽くなったのがわかりました
そのすぐ後の 世話人さん単位の浄霊会で 私は明るくなっていたのです
1週間後の出張所の浄霊会で 私はもっと明るくなっていました
本当に信じられないことです
あんなに 重苦しく地獄だった心が 晴れ晴れとしているのです
明主様 本当に有難うございます
先生も世話人さんも 私の急激な変化に 私が欝から 普通を通り越して 
躁鬱の躁に なったかもしれないと 思われたそうです
そしてその頃から 出張所の先生と世話人さんに
その日にあった 感謝させていただけることを見つけて
感謝メールを毎日送らせていただくことにいたしました
今 私は 以前より腰も軽く
この4月から 毎日交通立ち番にも 立たさせていただいています
去年の11月から 鬱病で立てなくなっていたのですが
心からの笑顔で 子供たちと接することが ゆるされています
信じられないことです
明主様有難うございます
先日 支部の浄霊光進が許され 未信者さんに 浄霊のお取次ぎも許されました
又 交通立ち番のとき 自治会長さんに なぜ元気になったのかと訊かれたので
パンフレットを 別の日にお渡しすることが許されました
人と話をするどころか 人と目も合わすことの出来なかった
あの地獄の日々からは考えられないことです
感謝せずにはおられません
【感謝の心と 感謝の言葉は 神様に通じる】
鬱病になるまでの私は 神様に通じるどころか
感謝のなさから 悪魔に通じてしまい 
良くないものに 想念を支配されていたのではないか と思います
今では 神様に対する悪い想念は 全く浮かんでこなくなりました
この欝の浄化で気づかさせていただいたこと
それは  わたしは 娘がかわいそうだとか 娘の将来を絶望していた
というよりも 
自分の明るいはずの未来が とざされてしまったことに悲嘆していた
ただ 自分がかわいいだけの人間だった ということでした
いいこともありました 私は母との折り合いが悪く
ただ葛藤するだけの関係だった自分の母に 甘えることができるように
なっていたのです
この母は 欝になった私に
「欝になってよかったんや。あのままのアンタのまま 眼ぇつぶることにならんでよかったな
あ。」
と 言ってくれました
また欝になったおかげで 頭のくもりが どんな状態をひきおこすのか がわかり
それとともに 娘は娘なりに
一生懸命 がんばって生きていてくれていたことが わかりました
私は 娘のナルコレプシーを うけいれることができるように
なっていたのです
以前は娘に対して 必要以上に怒っていました
そのことが 娘の心の負担にもなっていたかもしれません
気がつけば 親子三代の母と子の関係が よくなっていたのでした
浄化によって 自分のいたらなさ 間違いに気づかせていただきました
その間違いを 神様にお詫びし
気づかせていただいたことに 心から感謝できるようになりました
明主様有難うございます
今では 鬱病にも感謝が出来ます
私は 欝より生還して
人は皆 浄化という みめぐみをいただくために うまれてくるんだなあ
と 気づかせていただきました
娘のナルコレプシーがなおったわけではありません
けれども 私が もっと他にいたらない 何かの間違いに気づき
それを 心から神様にお詫びし 改善させていただいた後
一番いいときに 一番いい形で 
良くしていただける日が来るのではないかと思っています
明主様は
『健康にするとともに、立派な人間にするということが最後の目的です。』
とおっしゃられました
最後の目的から外れて 向上を怠り
神様からの督促状が来て 再浄化にならないように 
立派な人間に向かって 向上し続けるよう 頑張りたいと思います
そして 戴いたご守護に見合った 神様への感謝とご恩返しを させていただき
私とおなじように苦しんでいる方を 
一人でも多くの方を お救いをさせていただきたいと思います
私をあたたかく支えてくださった皆さん  ありがとうございました 
〇〇先生 〇〇先生
今後ともご指導の程 宜しくお願いいたします
明主様 ありがとうございました
これで私の体験発表をおわらさせていただきます
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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細菌は有難いもの

 この題を見た人は、信者ならイザ知らず、第三者としたら吃驚仰天、私の頭脳を疑

 

いたくなるであろうしかしこれは真理である最高の霊科学である以上、よく読んで深

く考えてみれば、なるほどと思わざるを得ないであろう。単に黴菌と言っても、ここでは病

気に関したものを言うのであるが、この黴菌なるものは何がために存在し人間に害を

与えているかという事で、これを徹底的に検討する事こそ現在文化に対しての、最重

要問題であろう。
 

もっともこの事は専門家諸君においても常に研究努力しているには違いないが、今日

までの科学の程度では黴菌の本体など到底把握出来るまでに到っていないのであ

る。それどころではない、現に目の前に蔽い被っている結核や伝染病等の問題にしろ

当事者は全身全霊を打ち込んでいるにかかわらず、何ら見るべきものはない現状で

ある。というのは全くその観点が根本的に誤っているからで、医学においてはただ殺菌

等によって、伝染を防ぎさえすればよいとのみ思っているだけで、いわばいつも私がいう

結果論的観方で、外殻だけを対象としているに過ぎないのである。ところが原因は中

心の奥深いところにあるのだから、その点に気が付かない限り、何ほど多額の費用を

使い、いかほど努力したとて、徒労以外の何物でもないのである。遠慮なくいえば、現

在の黴菌医学はまだホンの揺藍(ようらん)時代といってもいいくらいのもので、実際に

役立つのはいつの日か見当もつかないのである。

 さてこれから私の言わんとするところをかいてみるが、そもそもこの地球は人間の世界

であって、人間が主人公であるから、万有一切は人間に必要なもののみで、不必要

なものは一つもないのである。従って、病気なるものもその病原であるところの黴菌とい

えども、ことごとく大いに必要の存在であるにかかわらず、それを無用有害物として忌

避し、絶滅させる事のみに専心しているが、これこそ全く根本が判らないからである。ゆ

えに黴菌その物の本体さえ分ったなら、これほど人間の健康に有用なものはないので

ある。とはいうもののこの事の説明に当って困る事は、今までの学理と比較して、余り

に驚異的であるから、この理を納得するには、余程心を虚心坦懐白紙になって、精

読されなければならないのである。

 そうして私の唱える病原とは、いつも言う通り人間には絶えず毒素すなわち濁血が

溜るので、それを排除してしまわなければ、活動に不便を及ぼすから、濁血を排除し

浄血者にすべく自然浄化作用というものが発生するその際の苦痛が病気である

ら、言わば病気とは体内の清潔作用なのである。例えば人間は誰しも外表である皮

膚に垢が溜ると、入浴という清潔法があるが、中身である五臓六腑(ごぞうろっぷ)に

も同様垢が溜るので、その清潔作用が病気というものである。としたら神様は実に巧く

作られたものである。これは嘘でも何でもない。病気になるや痰や洟、よだれ、盗汗、

下痢、腫物、湿疹等の汚物排除作用が起るではないか、だから出るだけ出てしまえ

ば後はサッパリとなって、健康は増すのである。

 ところが不思議も不思議、こんな入浴などと違って、一文の金も要らずに済む結構

な掃除を、一生懸命止めて出さないようにする。それが医学であるとしたら、何と馬鹿

馬鹿しい間違いではあるまいか、何が間違ってるといって、これほどの間違いは恐らく

外にあるまい。従ってこの間違いのために健康な肉体を弱くされ、長生きの出来る体

を早死するようにされて、平気どころか有難がっているのだから、今日の文化人なる者

は全く“哀れなる者よ汝の名は文化人なり”である。ところがもっと厄介な事がある。そ

れは汚物を出さないようにするその手段に汚物を用いるのであるから、反って汚物を

増す結果になるという誤り方である。従ってこの道理さえ判ったなら、病気程結構なも

のはない事を知るであろう。そこで、いよいよ黴菌論であるが人体の汚物とはもちろ

ん血液の濁りであって、この濁りを無くしてしまうには、どうすればいいかというと、神様は

まことに面白い方法を作られた。それは黴菌という目にも見えない細かい虫によって掃

除をさせるので、そこで神様はこの虫を湧くようにしたすなわち黴菌発生の根源を作

られたのである。この事については拙著文明の創造中の科学篇中に詳しく出ているか

らここでは略すが、とにかく黴菌という微生物は、最初濁血所有者の血液中に入り込

み、濁血を浄血にする役目をするのである。それはどういう訳かというと濁血というの

は血液中にあってはならない、言わば不純物が存在しているのである。面白い事には

不純物という微粒子は、実は黴菌の食物になるのであるから、黴菌はそれを食いつ

つ、非常な勢をもって繁殖し、食うだけ食った奴から、排泄物に混って体外へ出てしま

うから、順次濁りは減り、ついに浄血者となるのであるその際の発熱は黴菌が濃度

の濁血では食い難いから、液体に溶解して食い易くするためである。だからこの理が判

ったなら、黴菌というものは、全く人間体内を清浄にする掃除夫なのであるから、大い

に歓迎すべきものなのである。

 ところで問題なのは、体濁血というものは、どうして出来るかという事で、これこそ万

有相応の理によって、実に合理的に造られるのである。というのは人間は神様の定め

られた役目を自覚し、それを正しく行えばよいが、多くの人間はつい不正や過ちを冒し

易いので、その結果霊が曇り、霊が曇ると血が濁るので、それが病の元となり、苦しみ

となるのだから、つまり過ちに対する刑罰という訳で、こうしないと人間は正当に役目を

果さないのみか、世の中へ害を与えるから、止むを得ず神様はそういうように造られた

のである。従って間が正しい行いさえすれば、濁血者とならないから黴菌は湧かず、

病気はこの世から無くなるのである。これが真理であってみれば、病菌というものは人

間が作って、人間自身が苦しむのであるから、何と愚な話ではないかというその事を教

えるために、この文をかいたのである。

                                1951年8月1日発行

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本日のA氏

①だよん。

②だよん。

③だよん。

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6/15

6/15は日曜日ということもあり、

普段よりも沢山の参拝者でした。

光が凄かったですね。クラクラしました。

光がだんだん強くなってきている感じします。

私の中でも、ある分野を開拓しなければ

と思わせていただきました。。。

そうするための本にも出合わせていただきました。

自分に与えられた使命はもしかしたらこれなのだろうか???

とも感じています。

さあどうなることやら・・・

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日本外交の原点

聖徳太子にみる日本外交の原点・・・・・・青山氏

ttp://jp.youtube.com/watch?v=o-YCQBxRpsQ&feature=related

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信者は写し鏡2

どんな理由であれ、どんな事柄であれ

想念を悪くしていると、

自分と繋がっている信者、家族等とは

霊線が通じているので

その間

縁のある人への光が遮断している。

不思議なことに

信者の信仰が思わしくない

ということに最近気づかせていただいたww

日々の想念というのは非常に大事だと思う。

悪い想念が出てきてしまったら

こんなことでは

霊線を通じて自分の信者達も悪くなってしまう

駄目!駄目!

と思うようになった。

想念の良し、悪しが

如実にあらわれてきていると思う。

昔とはちょっと違う感じ。

浄霊の強、弱

奇跡を起こる度合い

だんだん格差が激しくなってきているような気がする。

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信者は写し鏡

最近は鏡の法則というのが流行っているそうで・・・・

私も、コンビニでサッと立ち読みで読みました。

他人は自分の写し鏡と良く聞きます。

これは非常に重要で、絶妙な神の技と思います。

そこで、これを信者同士に置き換えてみます。

以前から、お世話している信者を変えたいと思ったら

自分を変えなさいと教わりました。

自分が変わっていないのに、信者を変えたいというのは無理だそうです。

自分が変わると信者がかわる。

自分と信者は霊線で繋がっています。なので自分が向上すると

霊線を通じて信者も向上する。

なので、

『信者が信仰を理解しない』

『御用をしない』

『報告をしない、自分と繋がらない』

『信者が増えない、減っていく』

『所詮、神様のことがわからない魂だったんだ!』

と嘆くことは

鏡の法則で

実は、自分がそうである信者なのだ!と

言っていることと同じだな。。

と最近思います。

冷静に自分を見つめると

同じようなところが実は自分に必ずはるはずです。

たとえば

『自分にも信仰を理解していないところがある』

『御用に手を抜く時がたまにある』

『神様と繋がらない、先生に報告しないことがある』

『自分に信仰者としての魅力がないから、信者が減っていく、近寄ってこない』

『神様のことが分かってないところが自分にはある』

と・・・・

信仰者なら身近な信者を通して、己の姿を映し出す。

恐いですね

また、

『あの先生は間違っている!!おかしい!!信仰から外れている!!』

というようなことを思っている人、また悪口を言っている人は

他の信者または自分がお世話をしている信者から

『あの人はちょっとね~。信仰がねえ~。~のこういう部分がね~ちょっと嫌だ』

と実は影で結構言われている。

上の人、先生等に対して、不満や文句がある人は

いずれ

同僚の信者や下の信者から

事柄は別でも

同じように思われる

法則があるようです。

そういうことに最近気づかせていただきました。

それと、お世話している出来の悪い信者に

『あの人はこういうところが信仰的でない、駄目だ!!』

というふうな思いを持ってしまうと、

縁のある信者とは霊線で繋がっていますので

その人に光が行かなくなっていきます。

折角、時間や労力を使ってお世話していても

こちらの思いでその信者に

光を知らず知らず遮断してしまい、

無駄な時間を使ってしまったのなら

御用をしても勿体ないことです。

信者がちょっと・・・ということがあれば

それは、神様が自分のいたらなさを

その信者を通して見せていただいている。

本当は有難い魂の持ち主の信者だということを思い

その信者をとおして、自分はどうあるべきか???

何を改善しなければいけないのか??

神様は何に気づけよとおしゃっておられるのか??

と自分に問いかけることが重要なのではないかと思います。

自分が向上すると、まわりの人も向上する。

そういう法則ならば

『心を天国にする』の御教えもとても理解しやすくなりました。

今の世の中を変えたい、教団を変えたい、家庭を変えたい

と思うならば

まず、自分が変わり、向上し

そうすると

霊線で繋がっている縁のある人をも知らず知らずに

引っ張って向上させることが出来、

そういう人がいっぱい増えていくと

案外簡単に世の中は変わってしまうものかもしれません。

自分の向上、変わることは横において

あの先生はおかしい!!教団とはこうあるべきだ!!

というふうなことをいくら理論や運動しても

多少は変わっても、あまり変わらないだろうと思います。

上の人間が本当に間違っていれば、

やがて神様が何かしら働かれると思います。

しかし、

上の人間が、神様によって削除されようにも

残された、善人(?)が

上の人間のように悪事はしてなくても

向上もままならず、????のレベルの低い信仰者ばっかり

だったならば・・・・・

その上の人の削除を遅らせるのではないか・・・・と最近密かに思っています。

ある先生は

ある末期癌の信者を抱えておられました。

浄霊を続けても、思わしくなく、悪化するばかりです。

その末期癌の信者さんに一つだけあることを努力することを課しました。

それと同時に、その先生も自分も別のあることを努力するからと

その信者に誓いました。